七転八起DAYS

転んだままずっと起き上がれない人間の些細な日常と思うところ

Apple Macintosh 今でいうMacが子供の時欲しかった。

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

 

最近、自分の年齢が40歳を超えてから、20代の時のことを

「ガキだった頃」と表現するようになった。

これを仮に20代や30代の人が読んでいるのなら

「この人何言ってるの?十分に大人だよ?」と思うかもしれない。実際に僕もその当時はそうだったと思う。こればっかりは、歳を重ねて少し遠くに来ないとわからない感覚なのかもしれない。だけど、別に子供に見えるから「最近の若いものは・・」とか嘆くつもりはない。あくまで、自分の中のその当時を思い出す時の感覚が「ガキ」という表現がピッタリくるからなのである。

 

中学からの悪友で当時からコンピューターが好きな友達がいる。その友達は両親が大学の教授で帰国子女という強烈な個性の持ち主で、かといって優等生ではなくどちらかというと悪ガキだった。その友人との付き合いの中で、まだコンピューターがカセットテープでプログラムを読み込む時代からパソコンを触ることができた。中学生の頃、僕たちはモノクロではないグリーンディスプレイを必死になって覗き込み、雑誌に載っていたプログラムを必死に打ち込んで吐き出されるエラーに泣き、動き出したプログラムに喜んでいた。その友人は熱狂的なNECのパソコンの信者で、それ以外のものを認めていなかった。ただ、僕はその他のコンピューターにも興味があった。

 

高校生になると、友人のPCもスペックアップディスプレイもカラーになったし、フロッピーもついて5インチのディスクを読み込んでゲームをしていた。僕は隠れて親に頼み込んでX6800というシャープのパソコンを中古で買ったが、ユーザーがあまりに少なく、しかも友人に内緒にしていたのでソフトの貸し借りや情報交換ができずに1年半ほどで売りに出してバイクを買う資金に変えた。

 

大学生になった時、なぜか絵を描くようになっていた。経緯は色々あるけれども元々好きだったのもあると思う。その当時ぐらいから、コンピューターで絵を処理することができるという話を聞くようになった。写真を自由に編集したり色を変えたり一から絵を起こすことができたりするのだという。インターネットのない時代だったし本で読むくらいしか方法はなかったけども、印刷の世界や出版の世界はMacintoshを使って様々なことを処理するという。しかしながら、価格はMacintoshを使って絵を描くためには100万円ほどの投資が必要だという話だった。回収できる見込みもない投資というか、当時の僕では想像もできない額だった。が、悪友は2浪の末大学に入学すると当時90万したNECのパソコンを親に頼み込んで買っていたのだけど。

 

ただ、大学のゼミの教授の研究室にMacintoshがあった。教授の仕事を何故か手伝うことが多かった僕はMacintoshをともかく触っていた。その研究室には、大学から支給されたWindows95のパソコンもあったのだけどコンピューティングの質は全く異なっていた。ただ、Windowsの方に回線が接続されていたのでインターネット自体はWindowsで覚えたし、ユーザーの多さからフリーソフトの広がりの早さや情報の共有の幅が広がっていくのがMacintoshよりも凄かったのは覚えているし、何よりも沢山の会社がWindowsのOSを使うことで供給の多さから価格が熟(こな)れたものになって周囲もWindowsユーザーしかいなかったし、何よりも僕自身Windowsを買い使い続けた。ただ、当時のMacintoshは酷かった(笑)長文を打ち込む作業や編集をしてセーブをする寸前に爆弾のアイコンの付いてたエラーを吐き出して再起動なんてのはザラだった。Windows95もリソースに割り当てるメモリが低すぎて固まってたから同じような感じだったけれど。

 

その大きな理由が、MacintoshでもWindowsでもできることに差がなくなったからだ。Photoshopillustratorもインターネットも全てWindowsで動いた。そして、大多数の会社、個人、ハードメーカーもWindowsを中心に構成されていった。大量にリリースされるフリーソフトの多さも一つの要因で、フリーソフトだけでも十分に作業を様々こなせる点も大きかった。その中でMacintoshを選ぶというのは大変な勇気がいったしサポート面や経済的な問題から手を出すことができなかった。

 

だけれども、イラストを描くという環境にいた僕の中では古い考えなのかもしれないけれど、どこかで

「クリエーターはMacintoshという考えがあった。

言い換えれば、「いつかはMacintoshという想いがあったのだ。

 

時代は流れてMacintoshMacという名前に変わった。ジョブズAppleに戻ってからどんどん変化していき、今はOSXという昔とは別物のOSを積み、ある程度のグレードのモデルは庶民でもWindowsパソコンを買う価格と同等で購入することができるようになった。

 

去年、あることをきっかけに僕は10年間眠らせていた夢をもう一度動かそうと決めた。自分の決意を形にするときに頭に浮かんだことがあった。

「いつかはMacintosh

人生で後何台パソコンを自由に所有できるかわからない。なら、今買うならMacしかないと。いいじゃない、人生の中でMacを使う時期があったってと思ったのだ。今までの資産も活用できない、知人友人にも全然ユーザーがいないけどいいじゃないと開き直ったのだ。(購入する直前は、後ろに引けなくなる不安から悩みまくったんだけど)

 

で、今年の2月(古い話だな)に人生で初めてのMacを買い、今こうして文字を打って絵を描いている。しかし、パソコンを買いにいって片手で持てる紙袋で持って帰るという経験は初めてだった。ガキの頃の自分がこの写真を見たら絶対信じないだろうと思う。

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で、使ってみた感じは?と聞かれると「パソコンはパソコンとしか答えられない」が答えかなぁと思う。要は使い方であって、良いも悪いもユーザーの捉え方次第。よく、なんか信者がどうのこうのという論議をしているけれども、自分の使い方にあったハードを使っていれば別に他人のシステムなんて気にならないはずだし。ただ、周囲によく答えるのは自分のモチベーションと自己満足、それと「ガキの頃から欲しかったからね」と答えている。自己陶酔の道具なのかもしれないけど、酔いしれられない道具に魅力がないのも真実で。Macで絵を描いたり処理したりするから良いものができるなんてことはないけど、若かった時からしたかったことだから今は満足。不満はあまり触る時間がないのと、自分の才能のなさくらい。

 

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ちなみに、大学の当時触ってたMacintoshに入っていたPhotoshopのディスクがこれ。卒業する時に思い出にもらって良いか聞いていただいたもの。多分Limited editionだからスキャナーか何かについていたもんじゃないだろうか?フロッピー3枚とか今じゃ想像できないし、今やパッケージ版は販売を終了しクラウドというネットからダウンロードして使うようになっているし。多分、これをもらっていたってことは卒業して「いつかはMacintosh」と思って使おうと思ってたのかもしれない。小さいことだけど、ガキだった時の自分には伝えたいよね、全然形変わってるけど欲しかったもの手に入ったよって。

 

でも、自分でいうガキだった頃を子供の時欲しかったものって定義するなら

もっと大きなものが本当は欲しいんだよなぁ。さて、ガキだった時の自分にそれを手に入れたって伝えることできるかな。