七転八起DAYS

転んだままずっと起き上がれない人間の些細な日常と思うところ

自惚れに気づく

今、九州から帰ってくる新幹線の中でこの文章を書いている。

 

僕から見たら母親の弟である叔父さんが67歳の若さで亡くなった。その為に急遽、葬儀の為に九州へ帰って来ていた。

 

「叔父さんでしょ?結構遠縁じゃない?」

確かに親等で見ても遠い感じになる。だけど、母親のご兄弟には本当に若い時からお世話になりっ放しだし、母親の兄弟の仲の良さは僕の人生の教科書だ。それは多分一生涯変わることはないし、僕の考え方のベース、生きてる間のベースであることは間違いない。だから多少の無理でも帰る必要があった。帰らなきゃならなかった。

 

僕の家族は、僕が十代の時に何度も引越しをした。家賃の問題、契約期間の問題…その度、経費がかかる。引越し業者を使う余裕すらないし、自然に痛んだ家屋の修繕を請求される事も多々あった。その度に、従兄弟のお兄ちゃんと叔父さんは来てくれた。それも九州から大阪まで車をフェリーに乗せて。そして、大工仕事をしていた叔父さんは家の修繕と引越しの作業をして九州へ帰ってくれていた。

 

僕はその時には、わかっていなかった。その事がどれだけ本来は兄妹為とはいえする事が難しいことか、どれだけ自分が自惚れていたか。

 

今でも自分の心の中に

「苦しい時に僕は自分を捨てて家族を何とかしたんだ」という気持ちがある。これが自惚れでしかない事に今回気付いた。よくよく考えると、本当に僕が十代でその手の全てを解決できたか?代わりにする事ができたか?と問い直した時に答えは自然と出てくる。答えはノーだ。僕は人の助けを全く計算に入れずに自分の犠牲だけを頭に入れていた事になる。実際、僕はその助けなしには、どうしようもなかった。

 

叔父さんが亡くなって、葬儀の会場で安らかに横たわってる姿を見た時に亡くなって、命が途絶えて悲しい辛いよりも

「ありがとうございました」という気持ちが溢れて涙が止まらなかった。そして自分の自惚れに気付かしてもらえた事に感謝した。でもね、若すぎるよ。もう一度くらいお酒を飲んで感謝の気持ち言わせてくれても良かったのに。その機会は僕がこの世を生き切った時に向こうで。

 

また叔父さんがあの世に行く時に教科書に1つ書き足していってくれた事を勉強しないと。