七転八起DAYS

転んだままずっと起き上がれない人間の些細な日常と思うところ

ただただ、感心する

今の僕の通勤時間はとても長い。10年前までの職場なら自転車で20分、バイクで10分ぐらいの時間の通勤時間。それが、6年前に配属となった職場が片道一時間半以上かかる場所。人生で初めての電車に乗っての通勤。徒歩の時間を除いて電車に乗っている時間と駅で待っている時間等を含めると大体片道1時間、往復で2時間程の時間がある。一昨年の10月にiPhoneに買い換えてからキューレーションサービスのアプリで、この「はてなブログ」や様々なブログを通勤時間中に読むようになった。

 

で、こうやって自分で書いてみると

「今まで何となく読んでたけど、こんなことよく書けるなぁ〜」とただただ感心する。

 

と同時に、どうしてtwitterという文字数の制限性が高いサービスが広がったのかもよく分かる気がする。断片的な記述だからこそ逆に説明も要らないし、説明が必要なら聞いてくる人間に手短に答えるだけで構わないという形をとることができる。今は忘れらているかもしれないが、最初にtwitterが紹介された時は「ミニブログ」という表現で説明されてた。今や市民を得て一つのジャンルとしてその名前が呼ばれるようになった。まぁ、今は逆にインターネットで世界中に配信される「ミニブログ」という認識が薄れてしまってtwitterというクローズな世界での繋がりと勘違いして炎上するような写真や記事を公開してしまう人もいるくらい身近すぎるほど身近になったし、あれだけネットを毛嫌いするテレビ局ですらリアルなコメントを求めるために使ったりするくらいなのだから。

 

1年ほど前に「どうしてtwitterってこんなに広まったの?」と聞かれた時に僕が答えたのはスマートフォンとの親和性だと答えた気がする。タッチパネルのスクロールと今までの携帯電話では表現できなかった大きな液晶での時系列のわかりやすい表示とそれが生み出す即時性が僕の中で爆発的な普及の要因だと考えていた。でも、こうしてブログを再び書いてみてわかった。twitterは何よりも手軽なのである。発信するにも、説明するにも。

 

例えば「新幹線なう」とツイートすれば、新幹線に乗っているんだなと見た相手は容易に認識することができる。見ている側がどうして新幹線に乗っているの?と思えばリプライで発信者に質問すれば、発信者がそれに対して説明する。このやり取りは140文字以内の実に断片的なやり取りで、なおかつ世界に発信される。これが今書いているような文章の体裁になると、「何故新幹線に乗るようになったのか?」「どういう気持ちになったのか」などの多くの説明に文章を割くことになる。なにせ、ここもまでの文章ですでに約1100文字も費やしているのだから。

 

いやいや、お前の拙い文章だから長いんだよ?もっと簡潔に書けばいいんだよとの声も聞こえてきそうですが、まぁそれはさておき。

 

ただ、ブログというものにも長所があって、即時性が高いtwitterとは違い、考えていたこと、考えたこと、経験や振り返ってまとめたこと、説明したいこと、人に詳しく教えようと思ったことをしっかり書くことができるジャンルなのかなとも思う。だから、ハウツー関係の記事が多かったり、批評の記事が多かったり、日記というよりも記録みたいな記事が多かったり。

 

いつも、通勤時間に勉強させてもらったり考えさせてもらったりするブログを書いてらっしゃる方々に本当にただただ感心するのです。文章力、構成力、発案力・・・・どれもどれも、このブログというデジタルのジャンルにぴったりなものばかり書けるんですから。そういう人たちは、twitterだろうがなんだろうが発信力が凄いんだろうなぁと、自分がネットの中にいない間にそういう人たちが沢山出てきている現実に、通勤電車の中で色々考えるのでした。

 

で、これって何の話だったかな?(←ここまでで1581文字・・中身ないよなぁ)