七転八起DAYS

転んだままずっと起き上がれない人間の些細な日常と思うところ

時の美しさと残酷さを知る

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わからないものは、わからないのである。

illustratorをとりあえず触って、自分の描いた下絵を頑張ってトレースするのだけれど、これが全くもって意味がわからない。なんとなく形はなぞっていけるようにはなってきているがこのペースでは全く締め切りに間に合いそうにない。

 

朝の五時に起きてフルタイムで働き、通勤を経て机に向かう事3時間。子供の落書きみたいなというか、貼り絵のような絵が次々に出来上がる。うん、これはこれで面白いなぁと言っている余裕がないのが悲しいところなんだけど。

 

今は心から思う。これだけ使えないソフトをいきなり購入しなくて良かった。体験版があってくれて本当に良かったと!!

 

ただ、体験版をさらに試そうとPhotoshopもインストールして使ってみた。最終的に今ある下書きをライトボックスを使ってトレースして画像として編集しレタッチするというのも考えの中である。背に腹は変えられない上に窮鼠は猫も噛まないといけないのだ。これもまた、以前触っていたものと全然フィーリングが違う。基本は同じなんだろうけどブラシの感じとか細かいところがすごく変わっている。使いこなせばきっと便利なんだろうなぁと言っている余裕がないのが悲しいところなんだけど。

 

しかしながら、Photoshopは誕生から25周年を迎えたそうだ。大学にいた時に触っていたPhotoshopは確かリミテッドエディションだったと思う。フロッピーディスク3枚の要領だった。そう考えると、ソフトの根幹的なコンセプトは変わっていなくても、できることは数段に幅が広がっているんだと思う。本当に当時は合成とレタッチがメインのソフトだったからだ。常に世界中の画像を編集しコンピューターを通じた芸術的な画像のほとんどは、この二つのソフトを通じて作られていると思うと凄いツールが手元にあるんだなとワクワクもすると言ってる余裕がないのが悲しいところなんだけど。

 

ハードウェアの進化、ソフトウェアの進化

時間の流れの中で大きく加速し凄いものになっているが、およそ10年この世界から離れていた自分にはついていくどころか置いてけぼり感の方が強い。なんて思っている余裕もないのが悲しいんですけどね。

 

さぁ、どうしよう。ハンコだもんなぁ。最後は手で彫るかなぁ。

明日あたり書店に入門書でも物色しに行くとしましょうか。